病 院

28・29 岩見沢町立病院上棟式
 高柳町長の「貧しい者には無料で医療を」の理念で出発した公立病院建設に、空知外三郡医師会ならびに北海道医師会は反対決議を表明し、これに同調して日本医師会も
反対運動を行なった。しかし、多数の町民の理解と支持を背景に、町長の固い決意と信念で、初志貫徹をはかり創立の運びとなった。医療設備に優れ、治療費も低廉で、近
村はもちろん、隣町村からも大いに利用された。
空知における最初の公立病院であった。


30 岩見沢町立病院
 昭和二年九月現在の七条西四丁目に開院した。
初代院長は清水亮である。町長高柳広蔵の設立主意は「下級生括者に於ける医療にありては其の費用に堪え難くして為に生活の安定を欠くもの、或は医療を受くる能はず徒らに病勢の推移に要すの惨状を呈するもの等玄に社会問題として黙過すべからぎるものあるに依り実費診療所を設立して中産階級以下の患者に対し低廉なる診療費を以て之を
救済し天寿の幸福を全からしめんとす」とある。


31 岩見沢町立病院職員
 町立病院は昭和二年四月着工し、八月末に竣工したが、四月以降開院準備に着手した。高柳町長は医師の斡旋方を北大の有馬・今・越智の三教授に依頼し、病院長に西川外科の清水亮を、また看護婦長に阿部テルを委嘱することになった。九月に開院するが医局員は、外科・清水亮、産婦人科・桑山高俊・小野昌信、内科・高橋浩、小児科・野口寿子・金谷寛光、レントゲン科・金子順次、薬剤師・吉井実のスタッフであった。


32・33 牧病院
 明治二四年六月畑一番地(現元町)に、岩見沢における最初の病院として開業した。院長は牧孝太郎で、外科・産婦人科・花柳病を担当し、内科・小児科は松井正作が担当した。写真は上が大正四年、下は昭和三年のものである。

34 岩見沢炭礦病院
、元町庄野宅付近に開院、初代院長は撫養円太郎である。開院ならびに閉院の年月は不詳。この写真は昭和初期頃のものと思われる。

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