鉄道


35 北海道炭礦鉄道会社の鉄道工場
三笠の幌内炭礦の石炭を小樽港へ運ぶ幌内鉄道は、七年有余官営事業として経営されたが、明治二一年四月民営の北有社による請負がなされた。ついで一年半後には北海道炭礦鉄道会社に払い下げられた。北炭は岩見沢に鉄道工場・機関庫などを設けた。写真の煉瓦造りの建物は明治二四年頃のもので、建物の北炭のマークが印象的である。


36・37・38 岩見沢鉄道工場
 明治三九年一〇月鉄道国有法によって幌内鉄道は国に買収された。北炭時代の鉄道工場は北海道鉄道管理局岩見沢工場として建物施設を引継ぎ、さらに整備拡充をはかった。写真はいずれも大正時代初期のものである。

 

鉄道の町岩見沢

 岩見沢を中心とした各線の敷設は次の通りである。明治一四年一一月、小樽−札幌間がさらに札幌から幌内まで延長された。明治ニー年一二月三笠−幾春別間開通(幾春別線)、明治二四年七月岩見沢−歌志内間開通(歌志内線)、明治二五年二月砂川−空知太閤、明治二五年八月岩見沢−輪西間、明治二五年一一月追分−夕張間、明治三〇年七月輪西−室蘭間、明治三一年七月空知太−旭川間、明治四〇年五月紅葉山−楓間間、大正三年一一月志文−万字間開通により、岩見沢は鉄道交通の要衝の地位にあった。


39 開駅当時の岩見沢停車場
 三笠の幌内炭を小樽港へ輸送する鉄道は、明治一三年二月北海道における最初の鉄道として小樽−札幌間が開通し、ついで明治一四年一一月札幌−幌内間が開通した。幌内線の沿線に設置する岩見沢駅は明治一七年八月開駅するが、はじめは乗客がある時だけ駅員が合図に紅白の旗を掲げて汽車を止めるフラグステーションであった。鉄道開通以前の岩見沢の地は市来知の集治監へ日用品を輸送する人馬の通り道にすぎなかった。


40 岩見沢駅停車場ブラットホーム


41 岩見沢停車場と荒木待合所
 大正年代初期の写真である。停車場の付近には乗客のための待合所が必然的に営業されるが、大正初期には他に隣接して沢田待合所、渡辺待合所、登山待合所などがあった。


42 明治二五年の岩見沢停車場構内



岩見沢停車場構内
 明治一七年八月、札幌−幌内間の中間駅として開駅した岩見沢停車場は、その後歌志内線・室蘭線・万字線などの開通によって鉄道交通の要衝になっていった。列車交通量の増加から構内整備の拡大充実がなされてゆくが、明治二五年から昭和二七年に至る変遷を写真で示してみよう。

43 大正初期の岩見沢停車場構内


44 大正初期の岩見沢停車場構内


45 昭和初期の岩見沢駅構内


46 昭和二七年の岩見沢駅構内


47 岩見沢択操車場
 函館本線・室蘭本線・幌内線・万字線の交わる岩見沢は鉄道の町である。巨大な岩見沢操車場の規模は東京以北では一番で、全国でも七、八位といわれる。写真は昭和三〇年代。


48 岩見沢停車場構内の新型機関車
 写真は大正初期のものである。


49 岩見沢停車場構内の積雪
 岩見沢は全道でも有数の積雪地帯である。鉄道交通にとって冬の交通確保は昔む今も苦労の多いことである。写真は明治二九年の冬の岩見沢駅と停車場構内のようすである。


50 除雪風景
 写真は大正初期のもので、排雪列車による除雪の風景である。

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