神社・寺院

167 岩見沢神社
 明治一九年畑一番地(現元町)に創祀されたが、当時ほ社殿はなく、四方に〆縄を張って神域を定めたもので開拓三神を祀った。その後、明治二九年五月社殿が竣工したが、岩見沢の大火の際類焼した。明治三〇年に村民有志が平素崇敬する開拓守護神大巳貴命(おおなむちのみこと)を産土(うぶすな)神とし、新社殿を鳩ケ丘に設けることを決め、三三年五月に社殿が落成した。明治四三年村社、大正七年郷社、昭和八年県社に列したが、戦後社格が廃止された。写真は昭和三年頃の神社正面。


168、岩見沢神社本殿上棟式
 昭和八年六月二三日上棟式を行なう。この年の七月一三日に郷社から県社に昇格した。


169 紫雲山鹿王寺
 開山住職は家郷紫雲で、明治二三年九月岩見沢に関教を命ぜられ、二四年本派本願寺説教所として堂字を番外地に設けた。ついで二五年一月南二番地一七号を霊地と定め移転した。三二年に寺号公称が認可された。紫雲法師は、明治二〇年八月、西本願寺門主明如上人が北海道開教の中枢札幌の地に別院建立を命ぜられたとき山命を奉じ、二三年八月札幌西本願寺別院の大伽藍を竣工させた功績をもっている。


170 大法山東漸寺
 明治二二年以来、岩見沢に日蓮宗の寺院がないことを嘆いていた総代和久伊助・岡田市太郎外数名の有志が奔走の結果、明治二五年畑一番地に説教所を創立した。明治二九年五月の大火により類焼し、後に利根別北一番地へ移転し、本堂および庫裡を建立した。明治三一年寺号公称の認可を受けた。開山時の住職は青柳孝蓮である。水害の被害が多く、大正三年八月一条東六町目に移転した。写真は堂辛が建立されてまもなくのものである。


171 堅固山明了寺
 開山住職は藤波現道で、安政五年二月山形県鶴岡に生まれた。京都の真宗大谷派の本山設立の小数校、および貫練教校をおえ、明治八年教導職を拝命、以来もっぱら布教伝導に従事した。明治一七年函館・札幌両県の駐在布教を担当し、一九年士族入植地である岩見沢に一寺創立のため開墾出願するも給与地がなく、二四年私財を投じて畑一番地に寺院を建立、二七年寺号公称を受けた。明治二九年五月の大火で焼失、その後に再建された堂宇が写真の建物である。再建時に四条東一丁目に移転した。


172 北豊山長高寺
 創立は明治三二年五月で、宗祖は弘法大師、開山は近藤精高である。寺号公称認可は大正二年七月で、創立当時から現在地の一二条東三丁目に位置している。境内ならびに寺の裏地に四八か所巡りの霊地があり、由緒ある地蔵・石仏が祀られている。


173 大岩山禅洞寺
 明治三一年一月の創立で、宗祖は道元禅師、開山は法雲普蓋禅師である。寺号公称認可は明治四三年五月で、寺の位置は最初五条五丁目であったが、同四三年五月利根別、大正五年四月七条西六丁目に移転し、現在に至っている。当寺は、北海道開拓使大判官松本十郎の発願により開教され、当時は大本山捻持寺の直末寺院で末寺五か寺があった。


174 尊称山阿弥陀寺
 明治一八年六月頃、大谷玄超が利根別に一草庵を結んで布教に従事し、明治二〇年二月に寺号公称を認可される。宗祖は法然上人和順大師である。寺の位置は利根別、東踏切手
前付近、北二番地、四条東三丁目と移転し現在に至っている。

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