スポーツ・レクリエーション

208 岩見沢競馬場の輓馬競争
 馬橇に重量物を積んで牽引する輓馬競走は、北海道開拓の農耕馬の象徴である。農村の娯楽として自然発生的に生まれたものである。


209 岩見沢競馬場
 明治二三年五月、競馬山(現在の鳩ケ丘)の土地三町三反三歩を坂井栄太郎から借りて競馬場が設けられ、二四年九月神社の祭典行事として第一回の競馬を催した。出馬数は雑種一一頭、土産馬三〇頭であった。以来、年中行事として住民の娯楽となり、明治四〇年に初めて福引券を出した。大正一二年二月岩見沢競馬倶楽部が設立され、駒ケ丘に土地を買収し競馬場を整備した。この写真は昭和二〇年頃のものである。


210 由楽館
 大正三年頃の写真であるが、設立の年代は不明である。明治二九年の岩見沢大火以前は常設の芝居小屋はなく、時折巡行して来る旅芸人は少し大きな個人の家・倉庫などの薄暗いランプの下で演じたという。明治末から大正期にかけ、由楽館の他に大黒館や千代田館があり、無声映画・演劇・浪曲などが興行され、庶民娯楽の殿堂であった。


211 第九回国民体育大会ソフトボール開催
 昭和二九年第九回国民体育大会で、札幌を中心に各地で競技が行なわれることになった。岩見沢は八月二三日から二六日まで、ソフトボールとサッカーの開催地となった。
「街では歓迎のアーチ、紅白のまんまく、小旗が国体開催をいろどって国民の祭典らしい雰囲気をただよわせていた」(「岩見沢新聞」、昭和二九年八月二三日)。


市民運動会
 スポーツによる健全な明るい市民生活の確立をめざして、第一回市民運動会が昭和三〇年から始められた。会場は岩見沢東高校のグラウンド(九条東二)で、各町内会単位に競技者が出場し、応援合戦もにぎやかであった。写真は第一回・第二回・第五回のスナップである。


212 第一回の応援風景


213・214 第二回大会の綱引き


215 第五回大会の樽ころがし


216・217・218 岩見沢雪まつり
 積雪地岩見沢の冬の市民的レクリエーションとして雪まつりが、昭和二九年から始められた。写真は昭和三一年第三回のもので、国際地球観測年に向けて、三一年一一月観測船「宗谷」が日本南極地域観測隊をのせて出発したことや、三〇年以降の神武景気の世相を反映させた仮装の出し物が見られる。
 

219・220 温泉玉泉館
 市街から南東へ三`離れたところに冷泉が湧いており、これを沸かして温泉としている。『岩見沢紫昌記』に「岩見沢を知る者にして玉泉館を知らざるなく玉泉館を知る人にして岩見沢を知らざるはなし、蓋し同館は岩見沢に於ける唯一の温泉にして風光妙なると設備の好良とを以て知らるー略−鉱泉にして僅麻質斯、外傷、梅毒、皮膚病、子宮病等に特効あり−略−四季眺望に富み云々」とある。
 

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