風 俗

221 開院宮殿下の来岩
 大正一五年九月、札幌で帝国在郷軍人後援会北海道支部総会に総裁としておいでになった。これを好機として岩見沢町に全道青年大会を開催することになり、御台臨されることになり、九月八日御来岩された。御休憩所は石黒長平邸で、写真は石黒邸を自動車で出発される時のものである。


222 料理講習会参加の婦人たち
 岩見沢警察署長の斡旋で、札幌の女学校の先生を招いて料理講習会を明了寺で催した。この講習会に参加した婦人会の人たちの記念写真である。昭和初期の頃である。


223 天理教のひのきしん
 天理教全国一斉ひのきしんデーにより、岩見沢周辺の天理教とが集まり、岩見沢神社境内の清掃奉仕を行った際の記念写真である。昭和初期には天理協会として、幌向分教会・夕張分教会・郁春別分教会・岩見沢分教会・志文分教会・文道分教会などが岩見沢にあった。


224 士族入植二世
 明治一七二八年に入植をした山口県士族の二代目後継者たちで、明治二七年の撮影である。後に岩見沢の発展を推進する各界の指導者となった。

士族     後継二世     年齢      位置
中嶋武平 中嶋捨男 二三歳 長男 後左
川戸匡行 川戸清人 二一歳 長男 後中
高井綱次 高井右一 一六歳 長男 後右
紳矢知定 細矢健雄 二五歳 長男 前左
井原五介 井原喜太治 一八歳 長男 前中
中嶋武平 中嶋宗一 一八歳 次男 前右


225 大正初期の子供の風景


226 葬式の行列
 岩見沢の資産家であった〈七山口商店の葬式の模様で、昭和二年の写真である。参列者が街はずれまで野辺の送りをするのが当時の風習で、近親者は白装束に身を固めた。


227 日蝕観測
 昭和一八年二月五日、岩見沢でも皆既日蝕が観測できた。空知農業学校での生徒のスリガラスを使っての写真と、先生のトランシットを使っての観察風景である


228・229 元町子供獅子舞
 太平洋戦争後、元町居住の青年たちで元町青年会が結成された。青年会は地域の子供たちの健全な育成を願って、昭和二六年に子供樽神輿と子供獅子舞を作って、岩見沢神社の祭典に奉納するようになった。これらの行事も昭和四〇年の秋祭りを最後に衰退したが、五四年に国際児童年に因んで獅子舞は復活された。写真は昭和二六年当時のものである。

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